著作目録と公開講座での玲二のことば 浜口氏編「英文学者永川玲二の著作目録」より

目録掲載にあたって

下載の目録は、国際交流基金関西国際センター 浜口美由紀氏の論文、『英文学者永川玲二の著作目録作成-自由闊達に生きたある英文学者の業績-』を、当HPの趣旨にご賛同いただいた浜口氏の御厚意により、引用掲載させていただきました。
また、以下に『英文学者永川玲二の著作目録作成-自由闊達に生きたある英文学者の業績-』の序文も掲載させていただきます。

・はじめに
イギリス文学研究者でシェークスピアやジェームス・ジョイスの「ユリシリーズ」などの翻訳を多数残した永川玲二は、シェークスピアの時代のイギリスに大きな影響を与えたスペインに関心を持ち、1970年からスペインのセビリア(スペインの発音に従ってセジージャと表記)に移住して30年近くをその地で過ごした。「物を書かない物書き」「気ままな放浪者」注1など多くの文学者、研究者から親しく評される自由な研究者であった。1999年から1年間、北九州市立大学に客員教授として滞在し、スペイン帰国直前の2000年4月に滞在先の東京で亡くなった。筆者は永川の晩年のセビージャと最後の滞在地であった日本で何度も再会する機会があり、あふれる知識に圧倒されつつ自由な外見に永川の何ものにもとらわれない気ままさが凝縮されているように思えた。日本やスペイン・セビージャ時代を通して彼に強烈な影響を受けた、日本の作家やスペイン研究者、スペイン愛好者達の中から、彼の死後、永川について書かれたエッセイや彼の翻訳書の再評価が行われている。当論文の目的は、永川の残した翻訳、著作、執筆文を知るにつれ、豊富な翻訳書や著作を記録する必要があると思い、永川の翻訳と著作の目録化を試みることである。同時に、永川と親交があった文学者、研究者達が彼について書いた文章なども関連記事として現時点で入手できる書誌情報の掲載を行う。

本論では、永川死去前年の北九州市立大学外国語学部客員教授時、11月に公開講座「国際交流と翻訳」が開催され、奇しくも、永川の翻訳に関わる原点を語っており、今後もこの講演内容が紹介されることがないと思われるので、一部を採録することとした。

 

・永川翻訳、著作、執筆文、関連情報の目録について
1970年のスペイン渡航以前の永川は、英文学の翻訳者として多数の翻訳を手がけている。その業績は翻訳書が刊行された出版年を見ると精力的に行われていることが分かる。翻訳書、著作、執筆掲載文、新聞記事、永川氏関連文の5つに分けてリスト化を行った。出版年、発表年順に記載した。できる限り現物を確認して網羅的に集めたつもりであるが、新聞のデータベース等にヒットしない掲載記事などがあることが考えられる。今回の著作目録化にあたって完成版ではなく、このデータを基に今後も情報収集する予定である。

※国際交流基金関西国際センター 浜口美由紀氏論文『英文学者永川玲二の著作目録作成-自由闊達に生きたある英文学者の業績-』より抜粋掲載

 ◉ 公開講座「交際交流と翻訳」(1999年11月)より 玲二のことば

日本の文化の根底にある仏教は、仏典の翻訳が行われ、それは日本語、大和言葉で訳されなかった。日本に入って来たものは全て漢訳であった。元のインドから出てきたサンスクリット語・パーリー語という仏教の専門家にしか分からない非常に難しい

言葉であった。それに対応するものとしてキリスト教は聖書の翻訳がある。今までの人間の歴史の中で翻訳家の役割の中で一番大きいのは、東洋なら仏教、ヨーロッパならば聖書の翻訳、そのことを話したいと思う。

私は、鳥取米子市で生まれ、小学校2年から広島で育ち、広島が原爆で潰れた時、広島の幼年学校という殺風景な軍隊にいた。戦争が終わった時は高等師範学校におり、学校が終わりになると米子に戻り、軍隊の学校にいた者は編入試験を受ければ入学できることになった。近いので松山旧制高校を受けて入れてもらった。旧制高校よりも大阪外語に入りたかった。軍隊の学校にいる時ロシア語を習っていて、戦争中でもロシアと戦争するため早めにロシア語を教えてくれおり、白系ロシア人が最初から分からない時から聞かせて聞かせて理解させるという方法だった。軍隊の学校で習った科目の中ではロシア語を好きになり、それまで勉強らしい勉強をしたのはロシア語ぐらいで、将来ロシア文学をやりたいので大阪外語大学に行って、卒業後はロシア文学科があったのは早稲田だけだったので早稲田大学に入って学部生としてやりたかった。その頃兄が大阪に住んでいたので兄の三畳間の下宿が焼け野原にわずかに残っており、そこに転がり込み食べ物はなしの状態だった。大阪外大を受験に行くと大阪外大も焼け野原になっており、その中に立て看板があり、入学試験は何とかという小学校の講堂を借りて何月何日に行いますと書いてあり、写して帰ったが日付を写し間違え、焼け跡の小学校に行ったら昨日試験は終わったと言われ、やむを得ずまた米子に帰って来た。嫌になり学校なんかに行かないと言っていたらお袋に泣かれて、「大学に行ってくれ、どこでもいいから行ってくれ。」と言われた。松江の大学ではその時は試験などなく面接だけで、その時の先生が英文学者だったので、「君は英語はどのくらいできるかね。」と聞かれ「英語は中学校で1年の時にやっただけです。あとずっとロシア語やっていて、ロシア語はアルファベットが全然違うので、英語のアルファベットは忘れたくらいです。」「英語のアルファベット書けるか。」「書けません。」と言うと試験官が「そりゃだめだね、経済学部というところは英語をやるところだからね。そりゃだめだ」と言われ、「ああそうですか。」と帰って来た。

戦争直後で、生きし別れるというところにいた若者達の多くは、一高や三高など有名学校に押しかけたらしい。ところが松江は辺鄙なところにあり、受験生があまりいなかった、少年航空兵が多く、無条件でとろうとして僕も合格の知らせが来た。戦争が8月半ばに終わって11月に松江に来て、そこで試験を受けて暮らし始めた。11月に全入して、翌年の2月にはいきなり試験があり、英語が全く読めない。あの時代は食べ物もなかったけれども、印刷物どころか紙もなかった。英語の時間には、先生が時間の15分前位に終わって、次の授業のテキストを読み上げてみんながそれを筆記して帰る。僕はその筆記ができない、英語のアルファベットがちゃんと書けない、仕方がないのでロシア語のアルファベットで書いた。ロシア語はありがたいことにアルファベットの数が多くて36語、しかも音の通りに便利にできているので、何とか書ける。それを下宿に持って行き、火箸もなく寒く腹もへり停電ばかりですぐ真っ暗になるような場所で、書いたものはみみずの腹のように切れ目がなく、英語で読まれるとどこが単語の切れ目か分からない。ある日受験用に使った三省英和辞典を頼りに英語に書き直そうとするが無理だった。分からない。結局は、次の日の朝1時間か30分か早く学校に行って同級生を捕まえてノートを写させてもらった。最初の時間が英語でなければ、漢文などの時間であったら一番後ろの席に座って、写させてもらったノートを三省堂の辞書で単語を一生懸命引いたけれども、考えても分からない。あの頃入ってきた学生の大半は兵隊の学校でも普通の中学校でも勤労動員で穴掘ったり防空壕掘ったり畑作ったりということしかやっていないので英語のレベルは低かった。先生もそれを知っていて最初のテキストに使ったのはクリスマスキャロルだった。普通のノーマルな高校生のテキストにしてはレベルの低いものを使ってくれたが、それでも全く分からない。あの頃は受験参考書の小野圭を読みあっていたが、中学校1・2年生のために書いていなく、中学校4年生・5年生のために書いてある、英語というものを一通り分かっている者のために書いてあるので、一生懸命考えながら読んでも全然分からないので自棄になっていた。

6年生の春、3月「英語青年」と言う質の悪い紙の雑誌を読むと、当時の英文学者の中野好夫さんが「私の英語勉強法」を書いていて、京都の三高に入って京都の町に出て英語の本を3冊ぐらい買って来てうきうきしながら訳をしていたら、同じ下宿にいた京大生が部屋にふらっと入って来て「なんだおまえ、そんな読み方して、卒業するまでに一体何冊読めるんだ。」と言われそれでむっとして、よしみてろと言う訳で、字引を引くのを止めて日本の新聞を読むように字面を追いながら目を動かすだけの読み方に改め分かろうと分かるまいとそのスピードで読んでいく方法に切り替えた。1つ読み上げた時に分かったのはその中で人が4人が死んだということだった。それでも2冊目3冊目に入って、3冊目の終わり頃に指しかかった時にかすかに全体が分かるようになった気がした。今度は次の3冊を読み始めたという、本当に濫読をやった。ところが10冊目までに来たところで、かすかにわかり始めた感じがすこし夜明けが晴れてくるようになったので、その後の10冊目ぐらいの先は本当に内容が面白くて読んだ。

後に英文科に入ってもそのような読書法を続けていたので今、英語の教師をやっていて学生から英語の単語の意味を聞かれても返事ができない。単語帳のようにこの英語は日本語の意味というように頭の中で対応していない。英語は何となく全体を読めるようになったけれども英語として読めていない、学生が単語の質問があるとその単語はどこに出ているんだいと言ってその本を見せろと。その単語の前後を少し考えてここではこういう意味の日本語に訳せばいいと軽妙な返答はできるけれど、文法はきちんと勉強したことはなく、単語とかはおぼろげで始まった英語なので、きちんとした返事ができない。だから英語教師の資格がない、ただもしも英語の本の早読み選手権が日本であったら比較的上位に入れるのではないかと密かに思っていると書いてあった。

そうゆう勉強法があるのかと思い、もし字引を引くのを止めれば非常に効率がいい。当時は腹が減っていて寒くて寒くて吹き晒しの原っぱの一軒家の農家の2階にいて暖房もなく、学校から帰ると万年床にぱっと潜り込むしかなくて、腹ばいになりおもむろに本を広げていた。松江は学校図書館だけは焼けないで残っていたので、学校図書館に行けば英語とかドイツ語の本があって、借りて読んでいた。万年床に潜り込んで腹ばいになって枕の上にあごを乗せて本を読み始めて、手を出そうとすると冷たい。字引引かなくて済むんだったら手が冷たくない、それでやり始めた。中野さんは戦争前の平和な時代に難関であった三高に通った人だから、入った時には英語の力がかなりあったと推測できる。僕は本当にゼロで、大分条件が違うので不安の方が多かった。今考えてみると最悪な種類の本をまず読んだ。英語の本を全く知らないからEverman’s Libraryの中のキリスト小説家のディケンズの長編小説をまず借りてきた。厚くしかも晩年の作品でやたら長いGreat expectationsだった。読み始めるとディケンズはだじゃれの多い人で、誠につまらないダジャレがいっぱい書いてあって、ダジャレほど外国語の中で分かり難いものはない。

これを痛感したのは後に東京に行ってから、その頃はアメリカ軍の兵士達が娯楽で持っていたペーパーバックの類を売っていたので、それを買って神田の屋台で並べていたのでろくなものがない。丹念に見ていけば良い本もたまにはあった。あの頃の英語科の学生は、まず学校が終わると神田に駆けつけてそれを見ていた。みんな金だけはないが、そういうことはよく知っていた。どこの屋台のどのあたりにどんな本があるかよく知っていた。世界は狭かった。その当時アメリカの兵隊向けのジョーク本があって、表紙は取れて汚い本で、それを買って来て、押し入れの隅にほりこんで忘れていた。教師を始めてから、自分の英語力が学生時代より落ちたんのではないかと思い、引っ越しをする時に押し入れからその汚い表紙のない本が出てきて、この本を買ったことがあったと懐かしく、引っ越しの荷造りを止めて畳の上にごろ寝してその本を読みあさっていた。すると俺の英語力は衰えていないことに自信がついた。それは、後にハムレットやマクベスの翻訳の話をする時、悲劇的な感覚は万国共通で、ところが喜劇はその社会の事情の裏側まで良く分かっていないと笑えないことが多い。大阪漫才はイギリス人にいくら丁寧に翻訳してやっても無理だ。エンターライアーのジョークブックは下らないお色気話で短い小話で、始めの1行か2行読むと結末のオチまでが分かってしまう、いつくかパターンが決まっている本がある。前に学生時代に読んだ時には英語そのものよりも、イギリスとかアメリカの社会のバックグランドをあまり知らなかったから、ジョークって面白くなった、分からなかった。今度読み直してみたらたぶん8割ぐらいは分かった。俺の英語力は相互的に見れば、例えば忘れた単語が多くてもイギリス社会が分かってきたから心強い。

私はもっともっとひどい状態から始めて、英語教師になってから頼りない教師になった。この単語はと聞かれて即答できるようでもなく、中野さんなら早読みコンクールで上位に入るか。戦後若い世代の方が英語力がどんどん強くなって。しかし自分でも上位入賞の種目がもしあるとしたら何だろうと考えて、万年床で手も出さないでページをめくるということ。手は冷たい万年床にいれっぱなし、下唇でめくるしかない。これはやってみると難しい。2ページ以上いっぺんにめくったこともあり、300ページ400ページを全部めくることは大変な労力。こうゆう種目があったら優勝できるかなと思う。こんなことを1年ぐらいやったら、3年生になった時点で英語が一番読めるようになった。初めは人の写させてもいぺこぺこしてたが、みんなが僕のところに聞きに来るようになった。非常に気を良くした。それがあったもので、自信を持って、大学に行く前に4万語~5万語は読めるようになるなと思っていたのが、そうはいかない。結局はその方法で全うに読めるようになるのは英語だけ、その後フランス語は英語より弱い状態で終わった。読まないからよくならない、華やかな世の中で面白いこと多いから、読んでも砂を噛むような内容が分からなくて読むのだから。50ページと毎日決めてそれだけの分量を読んでいかなければだめ、そうゆうことが実際はできない。飲みに行く店ができて、油断するとついそっちに行く。とにかく毎日やらないといけない。方法としてはこれは、実際にうまくいくものだと確信だけは持っている。例えば、私はスペインに行く前になんとなくスペインに関心はあってスペイン語というものに注目する程度のことはしていたが、スペインに行く決意をしてからは、一切スペイン語の物は読まない見ない。教室英語は実はだめと自分でよく分かっていたので、本当に強いのは耳から覚える語学を一生涯一つだけでもいいからそうゆうものを作ってみたい。せっかくスペインに行って学んだりするんだから、それをやってみたいと思った。

その時、セビリアの町は日本人が全然いなかった。僕は英語の教師でスペイン語をやっていなかった。あの頃はスーパーはなかった、スーパーのはしりのような店があって、食料品が割合安く買える店が1軒あって行列に並んでいたら後ろの方から日本語が聞こえて来たのであれっと思って見たら、今の北九州大学国際学科科長の辻さんとその奥さんがいて、すぐ親しくなった。僕はしゃべることが全然だめで、少しづつ親しいスペイン人ができて「お前何だ、来てから1年経つのに何もしゃべれない。」と言われた。初めのうち少しは耳からでも入ってくるように努力しなければと、行きたくもないBARに毎日行っていた。スペインのBARは、フランスのカフェのようで、特にスペインのBARは色気のないとこで、大抵は立ち飲みで安い。全然豊かではない収入の少ない人でも朝はみんなBARに立ち寄って、夜はある程度お酒も飲めるところ。こちらも全うにしゃべれる訳がない、初めて出会った人が話かけてくる内容というのはSONYのことやHONDAのことで、それしか知らなかった。毎晩毎晩、相手が変わるので本当に関心があるのかもしれないが、僕はSONYとは関係がないという言葉をまず覚えた。そんな返事しかできない、結局興味がないからそれ以上の話にならない。家を出ていくとバカバカしくて時間泥棒になるから、新聞買って来て読むだけだった。近場の新聞売り場まで買いに行かねばならなくて面倒臭い。でも、初めのうちは毎日買ってた。そのうち日曜日版しか買わなくなった。

スペイン語の対話ということ、しゃべることが何とかできるようになると、電球が切れて近所の店に電球を買いに行ったら、当時もの凄く重たいテレビが置いて、電気を入れてくれたら白黒が出てきて、安かったので買い、その頃親しくしてた学生2人がかりで抱えてアパートまで運んでもらった。それから朝から晩までテレビを見て、まず分かってくるのはスポーツ放送、野球かサッカーは画面を見ていると分かる。朝から晩まで見ていたら何とかしゃべるようになった。僕はカセットテープには不賛成。テレビは表情がある、カセットは同じことの繰り返し。テレビは表情一つにしてもいろいろ変化がある。言葉というものはそうゆうものだろう。例えばありがとうの言葉にしても、本当にありがとうと思って感謝しながら言う場合もあるし、ありがとうよって大体言うこともあるし。テレビを見てればいくつかの言い方でもその言い方の持っている幅や奥行きが分かる。テレビを買ってから2年間位で何とかしゃべれるようになった。

もう一つ申し上げたいのは、ヨーロッパ語の中で格段に難しいのは英語であり、格段に易しいのはスペイン語である。発音と言うのは英語は本当に特殊で、オランダ語などには似たようなことがあるようで、英語はある単語を見て綴り見ても何と発音するのか分からない、例えば「A」をローマ字みたいに「ア」と発音することはない。「エイ」と強く発音するか変な音出す場合がある。労力を要するから上手くなれない。今でも自国の字引を一番引くのはイギリス人とアメリカ人だそう。どう発音したらいいか分からない、引かざるを得ない。ヨーロッパの言語は、ラテン系はもちろんイタリア語、スペイン語、フランス語は少し違うが、まず同じ。フランス語にしても綴りが複雑であって、もっと素直なスペイン語にようにすればいいのにと思うが、しかし、ある綴りはある音を合わせている、少ししゃべれば複雑なことは、合わせ方を覚える。ところが英語は本当にめちゃくちゃで、イギリスにも数ヶ月づつ通算すれば何年かなるくらい暮らしたが、未だに英語の電話がかかってくると慌てるし英語で電話かけようと思うと頭で最初にしゃべる1つか2つくらいを作文して作らないと受話器を取り上げる自信がない。例えばケンブリッジなどで下宿探しをする電話などビジネスの必要のある電話をかけるとき、こちらがへどもどしているとガッチャンと切られる。スペイン語はちゃんと勉強して来なかったことがいっぱいあるが、今は毎日使っているからまあまあだろう。受話器を取り上げて番号を回して相手が出てきた、出たとこ勝負でしゃべることができる、その音は「アエイオウ」と日本語の仮名に文字ごとにある単純な音だけで、全部仮名で書いた文章を読み上げることができる。英語はだめだという人は早いとこ、使いこがしてだめなものはだめ。そうするとスペイン語は何と自分は良くできるんだと自己陶酔を味わうことができる。

日本の旅行者から必ず聞かれたのは「あなたは何でスペインなんかにいらっしゃるんですか。」と言うこと。これは30代半ばぐらい、私は一応シェークスピアの専門家ということになっていたし、翻訳家でもある。シェークスピアの時代は、16世紀の後半のイギリスという小さな国が世界帝国であったスペインに追いつけ追い越せと一生懸命考えていた時代で、あの頃の劇作家は今みたいに小説が繁盛している時代ではなく物書きはみんな芝居を書いた。字を知っている人のパーセンテージは今に比べて非常に低いので、芝居が書けるぐらいの字のかける奴はいろんなことに使われていた。精神科の判別とかそんなことを沢山書いていた。その種のものを読んでみるとスペインのことばかり書いてある、エリザベス時代のイギリスの物書きは何を考えているかを分かるためにはスペインの歴史が分からなければだめだと思い始めて、日本の常識としてイギリスとフランスとドイツぐらい、例えば産業革命であるなどは特に勉強しなくても最低限の知識はある。ところがスペインはきれいにブランクで何もない。だからスペインのことを勉強しなくてはならない、本を読むだけ本の騙され加減も分かっているから、できることならスペインに行ってスペイン文化あるいはスペイン語に浸りながらその中でやりたいと思っていた。英語教師だから例えばイギリスやアメリカに行くのだったら、教師としての仕事を辞めなければならない。その給料をもらったままで留学生とか交換教授の道を探せば何年か行ってくることができる。自分としてはスペインに行って何年もいることが不可能、だから辞めるしかない。だから30代半ばを越えてから辞めるチャンスを狙っていた。日本社会は、段々年を取るに従って仕事を辞めることができなくなって、私でさえも30歳を過ぎると、学内政治があまりない学校にいたがそれでも派閥とはいかなくても仲良し感覚というのがあった。40歳になった人間が辞めるというのは不都合、困るという人もいる。その反面にはあいつが辞めてくれれば言いという人もいる。その人たちが慰留に来る、日本社会の慰留というのは恐ろしいもので、僕はその頃から辞めると決心をして来年の3月で辞めると言ったことが何回かあって、その度に夜中に慰留に来る人がいる。そうゆう人に限って僕は辞めてくれればいいと思っているような人で、誠心誠意を顔に表し時には涙を流さんばかりにしてまた来て下さいと言う。なかなか辞めさせてくれない、何回も来るので呆れ、第一口先だけで言っている。

スペインへ

とても私費で飛行機代は買えなかったので横浜からバイカルまで船で、シベリア鉄道でモスクワまで。汽車の旅が好きで、あの頃は出口がヘルシンキかウィーンか2つ出口があった。僕は北の方からみたことないのでヘルシンキから南下してパリに行くコースを取った。中国は、あの頃は日本よりも貧しくて物価が安かったけれども、空港ショップには何もかも高くてびっくりした。僕は一人旅だから贅沢するわけではない、安いサンドイッチでいいのだがそれが高い、教師を辞めた直後だったのでこれはいかんと、2年くらい暮らせるお金を持っていたがどうも甘かった。1年も保たないと深刻になった。イギリスだって日本より高いと思う。その年のクリスマス近くにスペインに入ったが、これまた安いのにびっくりして、だからこそ1年か2年と思って行ったところずるずると長くなった、お金もないのに。29年か30年続けていることになった。その間にはスペインの大学で日本語を教えるなど多少やったが、それよりは腹は空いてもいいから働かないという主義。教師辞める時に考えたんだが、どう転んでも金持ちにはなれっこないから、時間持ちになってやろうと、時間持ちであるとお金も少なくて済む。僕はスペイン国内の旅行をしていて1000円くらいの安宿に泊まると、その土地の労働者が行くような本当に安くて旨い店は外国語ができない店だからスペイン語が使えないと行けない。スペインで暮らしていると生活費はマドリードの商社マンや外交官の半分以下、ひょっとすると5分の1か10分の1以下と思う。お金のないことは平気だが、スペインのそこの一番安い店で一番安い物食べていることと、難しいのは社会の下半身を知ることであって、普通の人が何を考えて何を食べているか分からない。だから悔し紛れに言うようだが、カオスの難しさ、ちょっと簡単には分からないことが分かってきた。

だからやりたいことをすぐやれるうちにやっとくしかない。1975年、スペインに行って5年後にスペイン人の青年2人と米国人1人連れて4人でスペインからイタリア、ギリシャ、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンをフォルクスワーゲンの小さいカブトムシで4人とも体がでっかい人間で、4人で座ると満員で夏だったので暑くて、みんなある程度荷物があって、安上がりにするために手製のテントと炊事道具を屋根の上にいっぱい積み上げていた。ユーゴスラビアでは当時ガソリンが悪かった。走り始めたらまずは、エンジンかからない。朝起きてメシ食わないでまず荷造りして全部積み上げてさあ出ようとするとエンジンがかからない。その大荷物を全部降ろして車内をカラにして、押して走る。何百メートル走ってもかからなかった。腹は減る辛い。あの頃はまだイラクのシャーが生きていて、中近東一の軍事大国にしようとドイツからどんどん兵器を買っていた時代で、ドイツからユーゴスラビアを通りイスタンブールを通ってイランまでもの凄い大型トラックが戦車を積んでどんどん走っていく。ブルガリアはユーゴスラビア同様小さい国で、ブルガリアを突っ切ってイスタンブールに抜けるのが一番近い方法で、初めはそこを通るつもりだったが、ユーゴスラビアで車が全然動かない。その頃の噂ではトラックの運転手の仕事はいくらでもあって、ブルガリアの若い男の95%はトラックの運転手で食っていると。あの人達は英語とかフランス語とかちょっとできる、食べるとかの基本語ばかりで。ある時トルコへの出稼ぎのおじさんが1人、僕たちが道ばたで休んでいたら、ギリシャに行けと、ユーゴスラビアのガソリンは質が悪いから資本主義国に行けばちゃんとしたガソリンを売っているからガソリン入れ替えてすぐ戻ってこいと言われた。計画変更してブルガリアからトルコに行くため、まず近いギリシャの北に入って最初にあったガソリンスタンドでガソリンを入れたら嘘のみたいに動く。

フォルクスワーゲンは旅行者が売りたいと、ただみたいな10万円そこそこで買い、車検もだいぶ過ぎていた。その車で8ヶ月、その間の食費は最低市場で安い物買って来て、8ヶ月の生活費とフォルクスワーゲン代とインドから日本までは飛行機で飛ぶしかないから飛行機賃と全部ひっくるめて計1人13万円。1ヶ月1万5千円にならないお金で食費から滞在費まで払えた。インドは安いところでただみたいだったが、インドカレーは辛い。スペイン人の大半は辛いものはだめで、一緒に行った若いスペイン人はインドに入ってから絶食状態で、安い食べ物は辛いものしかない。列車の中は砂糖がいっぱい入った紅茶だけは安く売っていて、揚げまんじゅうを食べると辛いのなんの。インドの辛さは泣くような辛さ。スペイン人はガリガリになって、しかしそのうち平気になって食べるようになって太った。道連れのアメリカ人女性もスペイン人の2人の青年も大学出たばかりで就職していない、それで日本に行きたいと生涯二度とありえないチャンスでついて来て、13万円はたぶん親を騙してかき集めてきて、その時にはここにもう一回来たいと言っていたが、30歳に近づいてくると女の人は結婚したりして動けなくなって、その後で大旅行を何回か計画したけれどメンバーがいない。天の時と地の利と人の輪がぴったり一致して何か思い切ったことができる時は滅多に来ないもの。大分無理をしてもできる時はできることをやっておかないと全然できなくなることがあると今痛感してる。

車で初めユーレル半島から日本までユーラシアの南の淵をずーっと走って、その前は横浜からナホトカに行ってユーラシアの北の方を汽車で走ったので、ユーラシアの北と南はもういい。南の方はとにかく暑い、痒い、手製のお粗末なテントに寝て朝になるとみんな顔中腫れ上がるという状態だった。ユーラシアの南の淵は大文明が起こったギリシャ文明とかインドの文明などそうゆう点では素晴らしいけれどもどこに行っても砂漠みたいな赤茶けた所。この次長い旅するときは、横方向に行けないので縦に、アラスカから出てアメリカ大陸を通過して南米の南端まで縦に走る計画を何回も立てた。みんな忙しくなって30過ぎた道連れは宛てにならない。行くと言っておいて、ぎりぎりになって実は用事ができたて行けない済まんという奴が多い。

30年間、3回か4回は短期間日本に帰って来たことはあるが、ゆっくり北九州市に住むことをしたのは初めてだが、感想を言うと既に飽きている感じがある、どこに行っても商人の腰は低いしサービス満点で、至れり尽くせりになり、その代わり高い。とにかく高い。来年3月この学校が終わったらまたさっさとスペインに戻って暮らすつもり。

 ◉ 著書・掲載・新聞掲載記事などの詳細目録 〜浜口美由紀氏作成〜

◉ 著書目録

No 書名 出版社 出版年
1 夢のあと 文藝同人誌「秩序」#11 '63 summer
思潮社/文学グループ秩序発行
1963.7
2 ことばの政治学 筑摩書房 1979.5
3 ことばの政治学(同時代ライブラリー218) 筑摩書房 1995.3
4 アンダルシーア風土記 岩波書店 1999.7

◉ 翻訳書目録

  原作者名/共訳者名 書名 シリーズ名 出版社 出版年
1 ガルシア・ロルカ 評論スペインの子守唄 ロルカ選集. 第3巻 戯曲編 下 ユリイカ 1958
2 フランシス・スコット
・フィッツジェラルド
裕福な青年・壊れる 英米短篇小説選集 南雲堂 1958
3 トマス・エリオット ニッコロ・マキヴェリ エリオット選集. 第3巻 弥生書房 1959
4 E..パウンド T.S.エリオット エリオット選集. 別巻 弥生書房 1959
5 トマス・エリオット 殉教のすすめ エリオット選集. 別巻 弥生書房 1959
6 ハックスリ ジョナサン・スウィフト 世界文学大系. 15 
デフォー スウィフト
筑摩書房 1959
7 グレアム・グリーン 情事の終わり/あとがき グレアム・グリーン選集
第10巻
早川書房 1961
8 D.G.ブラウン/
E.V.テュレット
おそるべき証人 世界ノンフィクション全集. 26 筑摩書房 1962
9 エドガー・アラン・ポオ ボンボン/ホムレット公爵/沈黙 ポオ全集. 第1巻 東京創元新社 1963
10 エドガー・アラン・ポオ 不条理の天使/
ちんば蛙
ポオ全集. 第2巻 東京創元新社 1963
11 エドガー・アラン・ポオ 韻文の原理/
イギリスの古い詩
ポオ全集. 第3巻 東京創元新社 1963
12 ジョイス ユリシリーズⅠ 世界文学全集 Ⅱ 13
ジョイス ユリシリーズⅠ
河出書房新社 1964
13 ジョイス ユリシリーズⅡ 世界文学全集 Ⅱ 14
ジョイス ユリシリーズⅠ
河出書房新社 1964
14 ウェイランド・ヤング プロヒューモ事件
: 保守党政治の断面
ノンフィクション・ライブラリー 筑摩書房 1964
15 ミュリエル・スパーク 死を忘れるな 新しい世界の文学 13 白水社 1964
16 グレアム・グリーン もうひとりの自分 世界文学全集 3
20世紀の文学
集英社 1966
17 A.J.トインビー ナイルとニジェールの間に 新潮選書 新潮社 1967
18 シュリーマン トロイアへの道 現代世界ノンフィクション
全集 第2
筑摩書房 1967
19 トマス・エリオット 自由詩をめぐって/
散文と詩
エリオット選集. 第1巻. 弥生書房 1967
20 トマス・エリオット ニッコロ・マキァヴェリ エリオット選集. 第3巻 弥生書房 1967
21 トマス・エリオット T.S.エリオット/
殉教のすすめ
-エリオットの詩劇
エリオット選集. 別巻 弥生書房 1968
22 アラン・シリトー 土曜の夜と日曜の朝 今日の海外小説 河出書房新社 1968
23 イーヴリン・ウォー エドマンド・キャンピオン 20世紀英米文学案内. 23 研究社 1969
24 シェイクスピア ハムレット 世界文学全集. 第2 集英社 1969
25 E..ブロンテ 嵐が丘 世界文学全集. 第23 集英社 1969
26 エドガー・アラン・ポオ ボンボン/ホムレット公爵/沈黙 ポオ全集. 第1巻 新装版 東京創元新社 1969
27 エドガー・アラン・ポオ 不条理の天使/
ちんば蛙
ポオ全集. 第2巻 新装版 東京創元新社 1969
28 エドガー・アラン・ポオ 韻文の原理/
イギリスの古い詩
ポオ全集. 第3巻 新装版 東京創元新社 1970
29 フランシス・スコット
・フィッツジェラルド
壊れる 現代の世界文学
アメリカ短篇24
集英社 1970
30 バカン 傷心の川 世界ロマン文庫 8 筑摩書房 1970
31 エドガー・アラン・ポオ ボンボン/ちんば蛙 世界文学全集. 第18 集英社 1970
32 エリオット ラディヤード・キプリング
(1941年)
エリオット全集 4 改訂版 中央公論社 1971
33 ハインリヒ・シュリーマン トロイアへの道 ノンフィクション全集 15 筑摩書房 1972
34 ジェイムズ・ジョイス 若い芸術家の肖像 世界の文学 30 中央公論社 1972
35 ジョージ・オーウェル/
アンガス・ウィルソン
像を撃つ/下品な仲間 現代の世界文学
イギリス短篇24
集英社 1972
36 シェイクスピア ハムレット/マクベス 世界文学全集. 4 集英社 1973
37 F.R.リーヴィス ジョイスと「言語革命」 ジェイムズ・ジョイス:
現代作家論
早川書房 1974
38 エドガー・アラン・ポオ 不条理の天使 「ポー小説全集Ⅳ」
創元推理文庫
創元社 1974
39 トマス・エリオット アンドルー・マーヴェル 筑摩世界文学大系 71 筑摩書房 1975
40 アラン・シリトー 土曜の夜と日曜の朝 河出書房新社 1976
41 ウィルソン ・ウォー ウィルソン アングロ・サク
ソンの姿勢 /解説
世界の文学 15 集英社 1977
42 エドガー・アラン・ポオ 壜から出てきた手記/
リジーア/ 鐘楼の悪魔/
アッシャー家の崩壊/
ウィリアム・ウィルソン/
群集の人
世界文学全集 1 学習研究社 1978
43 E..ブロンテ 嵐が丘/解説/年譜 世界文学全集 36 集英社 1978
44 ハインリヒ・シュリーマン トロイアへの道 Chikuma classics 筑摩書房 1978
45 グレアム・グリーン もうひとりの自分 集英社文庫 集英社 1978
46 シェイクスピア ハムレット/マクベス 世界文学全集 4 集英社 1979
47 シトリー 土曜の夜と日曜の朝 河出海外小説選 24 河出書房新社 1979
48 シトリー 土曜の夜と日曜の朝 新潮文庫 新潮社 1979
49 E.ブロンテ 嵐が丘 集英社文庫 集英社 1979
50 グレアム・グリーン 情事の終り グレアム・グリーン全集 12 早川書房 1979
51 フランシス・スコット・
フィッツジェラルド
壊れる 現代の世界文学
アメリカ短篇24
集英社 1980
52 シトリー 土曜の夜と日曜の朝 河出世界文学全集第25巻
現代の文学
河出書房新社 1989
53 ミュリエル・スパーク 死を忘れるな 白水社 1990
54 E..ブロンテ 嵐が丘 集英社ギャラリー
「世界の文学」3 イギリスⅡ
集英社 1990
55 シェイクスピア ハムレット/マクベス 集英社ギャラリー
「世界の文学」2 イギリスⅠ
集英社 1991
56 F.R.リーヴィス ジョイスと「言語革命」 ジェイムズ・ジョイス :
現代作家論
早川書房 1992
57 ジョージ・オーウェル 像を撃つ 「動物との日々」
文春文庫
文藝春秋 1993
58 エドガー・アラン・ポオ 不条理の天使 「天使と悪魔の物語」
ちくま文庫
筑摩書房 1995
59 ジェイムズ・ジョイス ユリ・シリーズ 3 集英社 1997
60 シェイクスピア ハムレット 集英社文庫 集英社 1998
61 V.S.ナイポール/
大江原彌太郎共訳
神秘な指圧師 V.S.ナイポール・コレクション1 草思社 2002
62 ジェイムズ・ジョイス ユリ・シリーズ 1 集英社 2003
63 ジェイムズ・ジョイス ユリ・シリーズ 2 集英社 2003
64 ジェイムズ・ジョイス 「ユリ・シリーズ 1」
集英社文庫ヘリテージシリーズ
集英社 2003
65 ジェイムズ・ジョイス 「ユリ・シリーズ 2」
集英社文庫ヘリテージシリーズ
集英社 2003
66 シェイクスピア ハムレット 「シェイクスピア大全」
CD-ROM版
新潮社 2003

◉ 他出版物への掲載文章目録

  論文・エッセイタイトル 共著・対談者 掲載誌・書名 巻・号 出版社 出版年
1 <ほんやく文化>の悲惨と栄光-
グロータース神父への公開状
展望 108 筑摩書房 1959
2 意味とひびき--日本語の
表現力について
展望 70 筑摩書房 1964.9
3 ひざまずくラスコーリニコフ 展望 77 筑摩書房 1965.5
4 幸福のあとにくるもの
「日本語の歴史・全7巻」
展望 84 筑摩書房 1965.12
5 西洋文学との出会(座談会) 埴谷雄高
福永武彦
北杜夫
丸谷才一
世界文学 2 富山房 1966.3
6 リアリスムの行くえ 「新しい世界の文学 別巻
世界の新しい文化の展望」
白水社 1967
7 饒舌のリアリズム--ギュンター・グラス著
「ブリキの太鼓」をめぐって(新書解体)
文学界 22(2) 文藝春秋 1968.2
8 こだまする声-
新聞投書欄のあり方をめぐって
展望 115 筑摩書房 1968.7
9 新聞投書欄の問題点と課題
(新聞投書欄(特集))
高松吉八郎
石井勝
芳賀繁之
増田善郎
林田広実
新聞研究 207 日本新聞協会 1968.10
10 抒情からの離陸-
「アカシヤの大連」をめぐって(新思潮 1)
すばる 1 集英社 1970.6
11 ことばの政治学-1- バスクばんざい 展望 219 筑摩書房 1977.3
12 ことばの政治学-2- 地図について 展望 221 筑摩書房 1977.5
13 ことばの政治学-3- フラングレ 展望 223 筑摩書房 1977.7
14 スペインに吹いた自由の風 文藝春秋 55(8) 文藝春秋 1977.8
15 ゴヤ/闘牛/ドゥエンデ
-堀田善衛「ゴヤ」を読んで
佐伯 泰英
S.P. ネーバ
文芸 16(8) 河出書房新社 1977.8
16 ことばの政治学-4-ひとの流れ 展望 230 筑摩書房 1978.2
17 ことばの政治学-5-あぶらを売る 展望 233 筑摩書房 1978.5
18 旅の途上で
(文学のアジア・アメリカ体験<特集>
夫馬 基彦 早稲田文学 27 早稲田文学会 1978.8
19 解説 「新編柳田国男」第6集 筑摩書房 1978.10
20 根源での爆発,そして毒
-政治以前の下町庶民の立場から
(セリーヌ--否認の言語の罪?<特集>)
中上 健次
渡辺 一民
現代詩手帖 21(21) 思潮社 1978.11
21 ひとの流れ-ことばの政治学 「人生読本 外国語」 河出書房新社 1978.11
22 ジャップ考 現代詩手帖 22(4) 思潮社 1979.4
23 座談会「日本文化への墓碑銘
-『菊と刀』再考」をめぐって
ダグラス・ラミス
加地永都子
室謙二
思想の科学
 第6次
106 思想の科学 1979.6
24 光芒の1920年代-30-巨大な闘の中の
周辺文化-東南アジア・スペイン・中南米
鶴見良行 朝日ジャーナル 24(20) 朝日新聞社 1982.5
25 背丈に合わせて寺子屋を創ろう
(ライフスタイルとしての「大学」へ)
- (体験的提言 学ぶ志とのつき合い方)
朝日ジャーナル 24(23) 朝日新聞社 1982.6
26 The proud ones スペイン女公爵、名誉の証明 山村晃弘撮影 Impression Gold
special
4(10) アメリカン・エキ
スプレス
1992.10
27 アンダルシーア風土記-1- 世界 623 岩波書店 1996.6
28 アンダルシーア風土記-2-イタリア 世界 624 岩波書店 1996.7
29 アンダルシーア風土記 世界 625 岩波書店 1996.8
30 アンダルーシア風土記(第4回)
ゴート族とヴァンダル族
世界 626 岩波書店 1996.9
31 アンダルシーア風土記-5-タリーファ岬 世界 627 岩波書店 1996.10
32 アンダルシーア風土記(6)
アル・アンダルース
世界 628 岩波書店 1996.11
33 アンダルシーア風土記-7
-唯一の神の名において
世界 630 岩波書店 1997.1
34 アンダルシーア風土記 世界 631 岩波書店 1997.2
35 アンダルシーア風土記 第9回
王様と女奴隷
世界 632 岩波書店 1997.3
36 アンダルシーア風土記 第10回
レコンキスタの歌
世界 633 岩波書店 1997.4
37 アンダルシーア風土記 世界 636 岩波書店 1997.6
38 アンダルシーア風土記 世界 638 岩波書店 1997.8
39 アンダルシーア風土記 世界 639 岩波書店 1997.9
40 アンダルシーア風土記 世界 640 岩波書店 1997.10
41 アンダルシーア風土記 世界 642 岩波書店 1997.11
42 アンダルシーア風土記(16)
サンタ・クルース(聖なる十字架)
世界 643 岩波書店 1997.12
43 アンダルシーア風土記 世界 644 岩波書店 1998.1
44 アンダルシーア風土記(18)王女イサベル 世界 645 岩波書店 1998.2
45 アンダルシーア風土記 世界 647 岩波書店 1998.4
46 広い場所へ 「となりに脱走兵がいた時代-ジャテック、ある市民運動の記録-」 思想の科学社 1998.5
47 アンダルシーア風土記 世界 649 岩波書店 1998.6
48 アンダルシ-ア風土記(21完)
奇跡のあと
世界 651 岩波書店 1998.8
49 西洋文学との出会(座談会) 埴谷雄高
福永武彦
北杜夫
丸谷才一
「埴谷雄高全集 文学想像の秘密」13巻 講談社 2000.3
50 猿とシベリア 図書 609 岩波書店 2000.1
51 オルテガ・イ・ガセー『アンダルシーア論』 岡住正秀 北九州市立大学
外国学部紀要
102 北九州市立
大学外国学部
2001.9
52 一九二〇年代、闇の中の周辺文化 鶴見良行 「対談集歩きながら
考える}
太田出版 2005.6
53 抒情からの離陸-
「アカシヤの大連」をめぐって
宇佐美斉
岩阪恵子編
「清岡卓行論集成 Ⅰ」 勉誠出版 2008.6

◉ 新聞掲載記事一覧

  タイトル 新聞名 出版年
1 「20世紀文学紀行」(10)ノッティンガム シトリー「土曜の夜・・・」
(連載)
読売新聞東京夕刊 1988.12.10
2 「五輪の国のハポン」/4 永住する英文学者
「机上の学問」を捨て
毎日新聞東京朝刊 1992.7.14
3 「この3冊」アイルランドの本 大澤正佳・選 毎日新聞東京朝刊 1995.6.5
4 ジョイス「ユリシリーズ」に挑戦 「おれ」は「犬」だった 柳瀬尚紀氏 毎日新聞東京夕刊 1996.3.7
5 ユリシリーズ (窓・論説委員室から) 朝日新聞東京夕刊 1996.6.1
6 再評価高まるジョイスの文学作品「ユリシリーズ」新訳を競う
丸谷才一氏ら訳  柳瀬尚紀氏
熊本日日新聞夕刊 1996.6.4
7 「ユリシリーズ」新訳対決 言語との格闘 名訳者が挑む古典 読売新聞東京夕刊 1996.6.15
8 「余録」長編小説「ユリシリーズ」、全面改訳ー20世紀がよく見える 毎日新聞東京朝刊 1996.6.15
9 30年ぶりジョイスの復興(本・流) 朝日新聞東京朝刊 1996.6.16
10 余禄 長編小説「ユリシーズ」、全面改訳 20世紀がよく見える 毎日新聞東京朝刊 1996.6.16
11 「ユリシリーズ」相次ぎ新訳本 集英社版 背景を注釈で手引き
河出書房新社版 「語り手は犬」と解釈
中国新聞朝刊 1996.6.24
12 作家の勇気 ジョイス作品翻訳の試み 池澤夏樹(文芸時評) 朝日新聞東京夕刊 1996.6.25
13 「古典礼賛」永井荷風「ボク東奇譚」 冥界下隆を思わせる 
山口昌男(寄稿)
読売新聞東京朝刊 1996.6.30
14 新訳相次ぎ話題の「ユリシリーズ」 英文学者、柳瀬尚紀氏 独自の
新解釈で刺激的に 高松雄一氏ら3人共訳
北海道新聞朝刊 1996.7.7
15 敏腕編集者は郵便配達人 新訳版『ユリシリーズ』(舞台裏) 朝日新聞東京朝刊 1996.7.7
16 現代に問う「ユリシリーズ」(上)=新訳した作家・丸谷才一さん
(教養欄、本)
静岡新聞朝刊 1996.7.8
17 「書評」ジェイムズ・ジョイス著 ユリシリーズ1 清水徹・評 毎日新聞東京朝刊 1996.7.8
18 現代に問う「ユリシリーズ」<上>作家・丸谷才一さん
面白い音楽的な小説 古代欧州文学の伝統継ぐ
中国新聞朝刊 1996.7.17
19 売れる「ユリシリーズ」 古典を中心に小説が“復権”か 産経新聞東京朝刊 1996.7.29
20 宮沢賢治が「ユリシリーズ」を読んだら
それぞれの土地の言葉で豊かに 富山太佳夫
毎日新聞東京夕刊 1996.7.30
21 REIJI NAGAKAWA Traductor al japones de Shakespeare y Joyce "Sevilla e Hiroshima se parecen en muchas cosas" El Pais (Spain) 1996.8.26
22 太陽神の牛(窓・論説委員室から) 朝日新聞東京夕刊 1997.1.29
23 <北海道ひと紀行>第  ?
24 「出版情報」「ユリシリーズ」が完結 読売新聞東京朝刊 1997.6.22
25 スペイン戦争にロマンをかけた日本人義勇兵がいた 
ジャック白井、死して60年 国際旅団に参加 今に脈打つ
中日新聞朝刊 1997.6.22
26 ジャック白井、死して60年 スペイン戦争にロマンをかけた
日本人義勇兵がいた 国際旅団に参加 今に脈打つ
東京新聞朝刊 1997.7.12
27 『ユリシリーズ』新訳完結を記念 丸谷才一氏らがシンポ 毎日新聞東京夕刊 1997.7.14
28 カネオクレタノム(窓・論説委員室から) 朝日新聞東京夕刊 1997.8.6
29 書評 ジェイムズ・ジョイス著 ユリシリーズ 全3巻 向井敏評 毎日新聞朝刊 1997.9.14
30 97年「この3冊」書評者が選ぶ(その21)
清水徹(フランス文学者) ユリシリーズ第3巻
毎日新聞朝刊 1997.12.21
31 「読書 20世紀BOOKレビュー」小説(下)ジェイムズ・ジョイス
「ユリシーズ」 向井敏評
共同通信 1998.11.2
32 「読書 20世紀BOOKレビュー」小説(下) 「ユリシーズ」 
「制約」からの解放感 (向井敏評/作家)
静岡新聞朝刊 1998.11.8
33 20世紀BOOKレビュー」向井敏評 小説 <下>
制約からの解放味わう
中国新聞夕刊 1998.11.14
34 「アンダルシーア風土記」永川玲二著 イベリア復権誘う魅力的な逸話 読売新聞東京朝刊 1999.9.12
35 名訳でよみがえる古典 向井敏(ウオッチ文芸) 朝日新聞東京夕刊 1999.12.20
36 REIJI NAGAKAWA Un intelectural japones de Triana El Mundo (Spain) 2000.5.2
37 訃報 永川玲二さん 72歳死去 英文学者 「ユリシリーズ」を共訳 毎日新聞東京朝刊 2000.5.3
38 永川玲二氏(英文学者)死去 読売新聞東京朝刊 2000.5.3
39 永川玲二氏死去 中日新聞朝刊 2000.5.4
40 永川玲二氏(英文学者)死去4月22日 72歳 静岡新聞朝刊 2000.5.4
41 永川玲二氏死去 朝日新聞東京朝刊 2000.5.4
42 英文学者・永川玲二さん(惜別) 朝日新聞東京夕刊 2000.6.5
43 気ままな放浪者 英文学者永川玲二さん
4月22日死去、5月27日しのぶ会、72歳
読売新聞東京朝刊 2000.6.11
44 「いつもそばに、本がーデンマークの王子とその母」 丸谷才一 2000.9.10
45 2000年レクイエム 今年亡くなった方々(その1) 毎日新聞東京朝刊 2001.4.15
46 書評「カフカ小説全集」 1・2・3・向井敏評 毎日新聞朝刊 2001.4.15
47 ジョイス、新たな光 加賀乙彦 労作の新訳に脱帽 
興味深い伝記映画
中国新聞朝刊 2001.9.29
48 「学芸 ドラマはめぐる」(18) 文学と生活の密な関係
若いジョイスの苦闘描く 加賀乙彦
共同通信 2001.12.13
49 「書評」 V・S・ナイポール著 神秘な指圧師 丸谷才一評 毎日新聞夕刊 2002.2.17
50 「神秘な指圧師」V・S・ナイポール著 弱冠25歳のデビュー作 読売新聞東京朝刊 2002.2.17
51 本・BOOK 「神秘な指圧師」 産経新聞大阪朝刊 2002.3.3
52 書評 「神秘な指圧師」(V・S・ナイポール著、永川玲二、大工原彌太郎訳、草思社、1900円) 青木保 熊本日日新聞朝刊 2002.3.4
53 「神秘な指圧師」 V・S・ナイポール著 ノーベル賞作家デビュー作 中国新聞朝刊 2002.3.24
54 「新刊」「神秘な指圧師」ほか 毎日新聞東京夕刊 2002.3.25
55 「読書 書評」 植民地を生きるたくましさ 「神秘な指圧師」
(V・S・ナイポール著、永川玲二、大工原彌太郎訳、草思社)
共同通信 2002.6.12
56 2002年「この3冊」 書評者が選ぶ(その3止) 毎日新聞東京朝刊 2002.12.22
57 大古典の新生に拍手を送りたい(橋爪大三郎さんのポケットから) 朝日新聞東京朝刊 2003.10.5
58 「ユリシーズ」の日から100年ジョイス、相次ぎ文庫化 読売新聞東京夕刊 2004.6.9
59 「ユリシーズ」100年 丸谷才一 平凡な一日が起こした革命 産経新聞大阪夕刊 2004.6.10
60 「書評」 『南スペイン・アンダルシアの風景』 川成洋、坂東省次編 産経新聞東京朝刊 2005.12.19
61 「読書」 『南スペイン・アンダルシアの風景』 川成洋、坂東省次編 産経新聞大阪朝刊 2005.12.19
62 ここ10年、新訳次々 海外研究が進展 秋の読書特集・
新訳で文豪を楽しむ
朝日新聞東京朝刊 2007.10.26

◉ 関連記事掲載書物一覧

  著者 タイトル 書名・雑誌名 出版社 出版年
1 小田島雄志
紀田順一郎
渡部昇一
永川玲二「ことばの政治学」
対談書評21世紀は日本の世紀か
文芸春秋
57(10)
文藝春秋社 1979.10
2 出口裕弘 永川玲二「ことばの政治学」 言語文化 16 一橋大学
言語学教室
1979.6
3 池澤夏樹 ブルース・チャトウィンを紹介する
(池澤夏樹の読書日記)
週刊文春 文藝春秋社 1999.10.2
4 中野孝次 人間の顔 5 永川玲二
ー中年の哲学的放浪者
新潮 78(12) 新潮社 1981.12
5 渡部昇一 本多勝一氏に答える
(古語俗解 49)
週刊文春 文藝春秋社 1981?
6 佐藤愛子 セビリアもまた! 「娘と私の天中殺
旅行」
集英社 1982.4
7 渡部昇一 本多勝一氏に答える 「古語俗解」 文藝春秋社 1983.6
8 佐藤愛子 セビリアもまた! 「娘と私の天中殺
旅行」集英社文庫
集英社 1984.9
9 あびきひろし 地中海文明を問い直す
永川玲二「アンダルシーア風土記」
岩波書店
すばる 集英社 1999.11
10 中野孝次 四季のこみち 17回
永川玲二の死
別冊文藝春秋 文藝春秋社 2000.7
11 池澤夏樹 ブルース・チャトウィンを紹介する 「風がページを、、、」 文藝春秋社 2003.11
12 丸谷才一 さよなら永川玲二
永川玲二を偲ぶ会での挨拶から
すばる 集英社 2000.8
13 大工原彌太郎 セビーリャ・ハポンの蟻ジゴク
英文学者・永川玲二・イダールゴ
「南スペイン・アンダルシアの風景」 丸善 2005.9
14 川成洋 セビーリャとアーサー・ケストラー 「南スペイン・アンダルシアの風景」 丸善 2005.9
15 山口晴美 セビーリャの風-グアダルキギール河岸の家から 「南スペイン・アンダルシアの風景」 丸善 2005.9
16 石原忠佳 アンダルシア史のベルベル人 「南スペイン・アンダルシアの風景」 丸善 2005.9
17 渡辺雅哉 セビーリャの人。書いた。訳した。しゃべった。 「スペインと日本人」 丸善 2006.7
18 佐伯泰英 永川玲二さんが反面教師だった 「佐伯泰英!」 宝島社 2007.6