人生を闘う顔
著者:中野孝次
新潮社 1982
岩波同時代ライブラリー 1994
■作中で取り上げられる人物の一人として、永川玲二が登場
永川玲二 - 中年の哲学的放浪者
掲載:岩波同時代ライブラリー205「人生を闘う顔」中野孝次著 P87〜P108
老いのこみち
著者:中野孝次
発行:文藝春秋社
初版:2001/9/15
笹まくら
著者:丸谷才一
発行:河出書房新社
初版:1975/8/15
娘と私の天中殺旅行
著者:佐藤愛子
発行:集英社
初版:1984/9/25
惜櫟荘だより
著者:佐伯泰英
発行:岩波書店
初版:2016/1/15
■本文中で永川玲二との関係に言及
掲載元:岩波書店「惜櫟荘だより」P48〜P60
ビジネスに効く最強の
「読書」
本当の教養が身につく108冊
著者:出口治明
発行:日経BP社
初版:2014/6/9
■本文中「5章 複雑な現在をひもとくために不可欠な本」で<アンダルシーア風土記>が取り上げられている。
引用元:日経BP社「ビジネスに効く最強の「読書」」P88〜P89から引用
鉄砲狩り 決定版:夏目影二郎始末旅8
著者:佐伯泰英
発行:光文社時代小説文庫
初版:2014/4/10
■2003年光文社文庫より刊行した作品を大幅に加筆修正して刊行された本作に、特別収録として掲載された重里徹也著「佐伯泰英外伝8」で永川玲二との関係について言及されている。
引用元:光文社時代小説文庫「笹まくら」P361〜P371から引用
南スペイン・アンダルシアの風景
編者:川成洋/坂東省次
監修:福岡スペイン友好協会
発行:丸善株式会社
丸善ブックス105
初版:2005/9/30
スペインと日本人
編者:川成洋/坂東省次
監修:福岡スペイン友好協会
発行:丸善株式会社
丸善ブックス107
初版:2006/7/31
■「セビーリヤの人。書いた。訳した。しゃべった。」渡辺雅哉 著で、永川玲二について言及。
スペインと日本人 「セビーリヤの人。書いた。訳した。しゃべった。」
引用元:丸善株式会社「丸善ブックス107 スペインと日本人」P174〜P190から引用
スペイン革命のなかのドゥルーティ
著者:アベル・バス
訳者:渡辺雅哉
発行:れんが書房新社
初版:2001/10/20
■訳者付記にて永川玲二に言及
付記
私事にわたって恐縮ですが、やはり書き添えておきます。
ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』(集英社文庫、一九九八年)の訳者にして、『アンダルシーア風土記』(岩波書店、一九九九年)の著者。ジュール・ミシュレの「張り扇」を愛した名文家。煙草—— むろんドゥカードスーーのくわえ方が、ジェラルド・ブレナンにそっくりだったイスパニスタ。そして、セビーリャはトゥリアーナの「エル・チノ」(El Mundo, 5-V-2000)。あの永川玲二師がわれわれの手の届かぬ世界に旅立たれてから、早いものでもう一年になります。往時は何しろ無類の話好き。カスティーリャ街一六番地の永川師宅——一名を「鳥穴事」——での「昼飯」が終わるころ、裏手を静かに流れるグアダルキピール川のあたりにはすでに朝の気配が漂っていたこともしばしばでした。駄文かそんな故人の酒の肴に供することができなかったのが、ひどく悔やまれてなりません。
「生きるのか、生きないのか、問題はそこだ」(前掲永川訳、一一〇ページ)——「しきたり」に逆らって、「ハムレット」の例の文句に「の」が挿入されたその訳を、永川師ご本人が語ってくださった、今から一〇ねんほども前の「鳥穴亭」での夜のひとときを思い出しつつ。だいたい君は——。
二〇〇一年四月二三日 渡辺雅哉
引用元:「スペイン革命のなかのドゥルーティ」著者:アベル・バス/訳者:渡辺雅哉 訳者あとがき P381
医者がススメル安楽死
著者:柴田二郎
発行:新潮社
初版:2001/10/20
■本文中で永川玲二の生き様、死に様について言及されている。
引用元:新潮社「医者がススメル安楽死」P94〜P99/P106〜P109から引用
雨の日はソファで散歩
著者:種村季弘
発行:筑摩書房
初版:2005/8/25
■本文中にて永川玲二について言及
もう一人、最近出た集英社文庫の『ユリシーズ』の訳者の一人の永川玲二。彼は終戦の半年前に広島陸軍幼年学校を脱走して全国を歩きまわって、ついに脱走に成功したという人。軍学校の脱走は、逮捕されたら銃殺でしたからね。丸谷才一の『笹まくら』のモデルだね。幼年学校ではわりあい語学をちゃんと教えていたから、永川さんは東大に入り直して英米文学者になるんだね。僕は都立大学の教師時代に一緒だった。ちょうど全共闘でね。バリケード封鎖された教室を見回りに行かされるんだな。近くに土方(巽)さん家があって、僕はそこから通ってたんだけど、一緒に見回りしていて一番面白かったのが永川さんだった。
慣れっこだから一回りしてから詰め所で朝まで一升瓶空けて、新宿のしょんべん横丁に行ってまた飲み直す(笑)。それで僕は家に帰るんだけど、永川さんは中央線の急行に乗って終点の大町に向かうんだね。黒部の山のほうに自分専用の穴ぼこがあって、そこで一日グーッと眠ると疲れがとれるというんだな(笑)。放浪している間に単純生活っていうのかな、放浪者のテクニックを身につけていてね。家に行ってもトランクニつとリュックサックぐらいしかない。本は研究室に置くか、読んだら売っちゃう。そんな人だから教授会がイヤになって、僕も一緒に辞めちゃったんだ。
僕はそれから東京でモタモタしてたんだけど、彼はすっとイギリスに行っちゃってさ。カモエソスというポルトガルの大詩人の伝記小説を書くための資料探しにね。カモエソスには「ルシアダス」という、ポルトガルからフィリピンぐらいまで航海する海洋抒情詩とでもいう作品があってね。それがお好きだったんだね。それで資料漁りにヨーロッパに行ったら、ロンドンでは英語が通用しなかった。ところがリスボンに行ったらポルトガル語が通じてね、嬉しくなってそこに定住しちゃったんだな。あそこはタコでもイカでも獲れるからタダみたいに生活できるだろ。そのうち多国籍のヒッピーが彼のまわりに集まってきた。そのヒッピー集団のボスになってイベリア半島横断なんかしちゃってさ。当時スペインにいた堀田善衛にも、スペインでお世話されたとかしたとか(笑)。
数十年もそんな生活しながら、たまに日本に帰ってきて筑摩書房でちょっとしたエッセイを書ていたけどね。印税なんて吹けば飛ぶようなもんでしょ。おそらく日本人旅行者のガイドなんかで暮らしてたんだろうな。最後はコインブラ大学の教授になって定年後に帰国したらしいんだけど、向こうで世話してやった人たちを各戸訪間するという名目で、やっぱり日本中転々としていたらしいんだ。それが何かの会のとき、ギョーザ店のパイカルかなんかで酔っぱらってね。武蔵野館のあたりに欄干のない急な石段があるだろ。そこから落ちて亡くなったんだよ、この話は先一昨年。広島陸軍幼年学校の同級生の医者が書いた『医者がススメル安楽死』(柴田二郎、新潮社)という本にも出てくるんだ。新宿を出て亡くなった人と新宿に帰ってきて亡くなった人、対照的な酒飲みでしょ。
引用元:種村季弘著「雨の日はソファで散歩」P201-203
ひと皿の小説案内
著者:ディナ・フリード
監修・翻訳:阿部公彦
発行:株式会社マール社
初版 2015年2月
◉ 永川玲二について書かれた新聞記事を抜粋引用
山陰中央新報/文化欄
2018年7月3日
■文化欄で紹介される